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東京高等裁判所 昭和26年(ラ)265号 決定 1954年7月14日

抗告人(申請人) 戸原駿一 外四名

相手方(被申請人) 中外製薬株式会社

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は、抗告人等の負担とする。

理由

抗告人等の抗告理由は、別紙記載のとおりであつて、これに対し、当裁判所は、次のように判断する。

本件記録によれば、相手方会社が抗告人戸原駿一及び同児島重助に対してなした本件の解雇は、化学工業を経営する相手方会社が、昭和二十五年五月三日以降屡々発せられた連合国最高司令官の声明及び書簡の趣旨に従い、その企業内より、日本の安定に対する公然たる破壊分子及びその同調者を排除することを決し、日本共産党員である右両抗告人は、これに当るものとして、昭和二十五年十月二十三日付でなしたものであることが認められる。

原決定に掲げてある連合国最高司令官の声明及び内閣総理大臣あて各書翰の趣旨は、当時の連合国最高司令官において、国際及び国内的情勢のもとにおける占領政策を示し、この占領政策を達成するために必要な措置として、公共的報導機関その他の重要産業の経営者に対し、その企業のうちから共産主義者またはその支持者を排斥すべきことを要請した指示であると解するを相当とし、(最高裁判所昭和二十七年四月二日決定参照)当時日本の国家機関及び国民が、連合国最高司令官の発する一切の命令指示に誠実かつ迅速に服従する義務を有したことはいうをまたないところであるから、冐頭にかかげた趣旨においてなされた、右両抗告人等に対する本件解雇は、有効なものといわなければならない。そして所論原決定第三項も、つまるところ、右と同趣旨において、本件解雇の有効なことを説示したものに外ならないものと解すべきであるから、抗告理由は、採用することができない。

その他原決定には違法な点がなく、抗告人等の仮処分命令申請を排斥した原決定は相当で、本件抗告はその理由がないからこれを棄却すべきものとして、抗告費用の負担につき、民事訴訟法第八十七条を適用して主文のとおり決定した。

(裁判官 小堀保 原増司 高井常太郎)

(別紙)

抗告理由

一、(一)、原決定は理由第三の三に於て、昭和二十五年五月三日以来の数次に亘る連合国最高司令官の声明並に書簡を引用した後「前記最高司令官の指摘する事実は、単なる事実の指摘と異り、即ち一般私人の事実の指摘や政府が政策を表明しその基礎となる事実判断を示す場合と異り占領治下における日本及び日本国民に対し最高の権威として憲法その他の法令に拘束されることなく法規範を設定する権能を有する連合国最高司令官が、占領政策の基礎となるものとして指摘した事実判断であり、一般に肯認されるものとしているのであるから占領治下にあるものは、何人も占領政策に関する限りこの事実判断を尊重しなければならないことは言うまでもないところと考えざるを得ない。裁判上この事実の存否が問題となる場合においては、この事実の指摘が前記のようなものである限り心証の自由を理由にこれを否定してこれと牴触する事実の認定の許されないことは法律の規定に屡々その例をみる看做されたる事実と異らないものと考えざるを得ない。」と言つているがこれはまことに誤を幾重にも犯している。

(二)、連合国最高司令官が「憲法その他の法令に拘束されることなく法規範を設定する権能を有する」ことは原決定の言う通りであり、この意味に於て連合国最高司令官は日本及び日本国民に対する「最高の権威」でもあるわけである。しかし、このことからどうして原決定のような結論が生ずるのであろうか。

いうまでもなく裁判は法と事実とによつてのみなされなければならない。このことと連合国最高司令官が「最高の権威」であることとはどのような関係に立つものであろうか。連合国最高司令官はわが憲法その他の国内法令に拘束されることなくその意思により日本の国民を法的に拘束することができる。その為の第一方法は日本政府に命じて国内的な法令的措置をとらしめることである。連合国最高司令官はいわゆる間接管理の方式をとることを基本方針としている限りこの方法によるのが普通である。第二の方法として直接日本国民に命令を発して日本国民を拘束することもできる。この場合には連合国最高司令官の命令は日本国民を法的に拘束するのであるから、この命令は法理上から見れば法規範であるといわねばならない。なお最高司令官が直接裁判所に命令することも可能であるがこれもこの第二の方法の一つの場合と見ていいであろう。しかし本件につきこのような命令があつたのではないことはいうまでもない。連合国最高司令官が最高権威だといわれるのは法的にはこの意味であつてこれ以外ではない。ところで、裁判は法によつて行われるのであるから、連合国最高司令官の意思に裁判所が拘束されるのはこの二つの場合以外にはあり得ない。これは余りにも当然のことであるはずである。これ以外にはたとえ最高司令官がどのようなことを考えていようともこれを裁判所がとつてそれに基いて裁判をすることができない。最高司令官の意思が日本国民を、従つて又裁判に於て裁判所を、法的に拘束するのは、最高司令官の日本国民を拘束する意思に基いてのみなされるのである。最高司令官が、日本国民を拘束する意思なくして発表した談話なり書簡なりも当然日本国民を拘束するものであるとしたいなら、そのような一般的な命令を下すこともできるであろう。最高司令官が日本国民に対する命令でなく、単に事実を述べているにすぎない場合には、たといそれがいかに重大な事実であるにせよこれはわが国民及び裁判所を拘束するものではない。現在に至るまでの最高司令官の管理方針乃至それに基く命令に於て最高司令官の事実の判断は日本国民又は日本国裁判所を拘束するということは一般的に命令されていないし、又いわゆるレツドパージについても又は本件だけについてもこのような命令があつたことはない。

(三)、「何人も占領政策に関する限りこの事実判断を尊重しなければならない。」といつているのはいかにももつとものようである。しかし裁判に於て「尊重」するとはどういうことであろうか。およそ裁判に於ては、法の解釈と事実の判断とは拘束的にのみ行なわれるのであつて「尊重」などというあいまいなことは絶対に許されない。この点に於て原決定は裁判であることを自ら放棄してしまつているのである。

日本共産党に対する最高司令官の事実の判断は法規範ではないことはいうまでもないし。その事実に基いた日本共産党に対する最高司令官の意見も命令ではなくして「警告、希望」であることは原決定の自ら認めるところである。そうすると占領政策についての意見希望ないし事実の判断はいうまでもなく、政治上の意見乃至判断であつて、法規範ではない。最高司令官の政治上の意見乃至判断が尊重さるべきものであることはいうまでもない。しかしそれはあくまでも政治上の問題である。その限りに於てこそ「尊重」というような表現も許されるのである。政府当局者は法的に拘束されないものであつても、事実として、最高司令官の政治上の意見や判断を尊重しなければならず、これを尊重しないときは、或は政治上の責任を追及されることもあろう。しかしこれはいずれも政治上の問題である。裁判は法と事実の上にのみ行なわれる。たとい最高司令官が「一般に肯認されるものとしているので」あつてもそれは判断であつて事実そのものではない。もし最高司令官がその判断を以て裁判所を拘束しようとするならばその旨を命ずることもできる。この命令によつて初めて裁判所は拘束されるのである。

(四)、原決定は「看做す」という法の規定の仕方を援用しているがこれも誤りである。「看做す」というのは事実ではなく、法律関係についていうのである。だから事実については看做された法律関係と全く異なることすら多い。たとえば民法一二二条に於て取消し得べき行為を追認したときは初めから有効なりしものと看做す旨の規定があるが之などは事実とは必ず反する。だから事実判断を尊重することと「看做す」ということとは縁もゆかりもないことである。最高司令官は、日本共産党はかくかくのものと看做することを命ずることはできる。しかしその場合に裁判所がこの命令に拘束されるのは判断を尊重すべきであるからではなく、看做すという法規範が設定されたからなのであること前述の通りである。

二、原決定は理由第三の四に於て反証のない限り個々の党員も破壊的行動をしていると推定している。これも大きな誤りである。このような推定はおよそ責任の個別化という近代法の根本理念に反する。それだけでなく、むしろ反対の推定こそ正しい。なぜなら日本共産党は合法政党であつて公然と目的、綱領を掲げている。その目的綱領は、それに反対であると否とは別として、合法的なものであつて別に破壊的なものではない。さればこそこの事件後一年有余の今日でも日本共産党は解散を命ぜられないのであろう。そうしてその党員は当然その目的綱領に賛成して党員となつたものであろう。従つてその党員たるものは公然掲げられた目的綱領に従つて行動していると推定されるのが当然であろう。

三、原決定理由第三の二の基準に該当するや否やの判断も誤まつている。これについては既に原審の準備書面で述べているのでここでは簡単に述べる。申請人らが党活動を第一義として会社の業務などには多く顧慮を払わぬといつている。この判断の誤りであることは全疎明によつて明らかと思うが仮に原決定の判断の通りであるとしても、労働契約は労働力の売買の契約なのであつて、労働者は使用者に対し忠誠である義務も又全力を捧げる義務をも負うものではない。だから使用者のための労働を第一義とせずして党活動を第一義とすることは何ら不当ではない。苦学生が学業を本義とするのと何ら異らない。そのために会社の業務をおろそかにすることあつてもそれは使用者にとつて単に怠の問題であつて企業を破壊とかいうような大げさな問題ではない。実際原決定が認定した事実を見ても被申請会社の企業を対象とした政治活動は破壊的であつてもなくても一つもないのであつて、仮に事実としても会社に対する関係に於ては、映画にこつて時々サボルとか、試験勉強のためにそつと会社の目をぬすんで本をよむとかいうのと大差ない。このことは結局原決定も言外には認めているようである。しかるに、本件に於ては解雇基準は単に怠けるか成績不良とかいうのではなく企業を破壊するということにあるのだから解雇基準には全く該当しない。

四、私は、日本共産党をつぶさねばならぬとも考えてはいないが、さりとてこれをどこまでも守らねばならぬとも考えてはいない。たゞ法律家として法と裁判の権威を守らねばならぬと考えているだけである。これは当然あらゆる法律家の考えるところであろう。そうして法の権威を守る限りいわゆるレツドパージは何としても違法とならざるを得ないのである。私が御裁判所に期待するところも政治ではない裁判なのである。

以上

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